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Adonai (主)

これらの出来事の後、主のことばが幻のうちにアブラムに臨み、こう仰せられた。「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。」そこでアブラムは申し上げた。「神、主(アドナイ)よ。私に何をお与えになるのですか。 ・・・」

創世記15章1、2節

先の項目で見てきました「エロヒム(造り主)」「エル・エルヨン(いと高き神)」「エル・シャダイ(全能の神)」という神様のお名前は、神様ご自身がどのようなお方であるか、神様のご性質そのものを現わすお名前でしたが、この「アドナイ(主)」は神様が私たち人間との間にどのような関係を持っておられる神であるかを現わすお名前です。また「adonai」とは「主人」を現す単語「adon」の複数形です。「エロヒム」が複数形であることを先に述べましたが、この「アドナイ」もまた複数形であるというのは興味深いことではないでしょうか。ここでも聖書の神の三位一体が示唆されているのですね。

さて、「アドナイ(主人)」・・・ これは「奴隷、しもべ」に対する「主人」のことです。 旧約聖書の時代では、買い取られた奴隷は、雇われている使用人よりもいい待遇にありました。使用人は用がなくなれば解雇されましたが、買い取られた奴隷は死ぬまで主人のもとにあり、すべてのことについて主人によって守られ、教えられ、導かれていたのです。使用人が主人と同じ食卓につくということはありませんでしたが、買い取られた奴隷は過ぎ越しの祭りの食卓に家族の一員として共につくことが許されていました。また、もしも主人に血をわけた相続人がいない場合には、主人の死後は買い取られた奴隷がその家の後を継ぐようにもなっていました。奴隷ですから、完全に主人の支配下にあり、主人の所有物であったわけですが、その代わり、子供同様、主人によって完全に守られ養われる権利をも与えられていたのです。

アドナイ(主)」という神様のお名前は、神様のご自分の民に対する「所有権」を現わしていると言えましょう。しかし神様の人間に対する「所有権」はイスラエルの民に対してだけ行使されるものではありませんでした。エゼキエル書のなかにある異邦の民に対する預言でも、神様は何度も何度も「あなたがたはわたしが神(Jehovah)、主(アドナイ)であることを知ろう」とおっしゃっています。つまり、神様はイスラエルの民だけでなく、全世界の民に対してその所有権を主張しておられるのです。約2000年の後、日本に生まれ育った私たちに対してもそうです。神様は私たちのこともまたイエス様の血潮によって買い取り、神様のしもべとして下さったのです! 私たちは神様を「アドナイ」と呼ぶことの出来る者にされたのです!

神様は私たちを所有しておられるのですから、当然私たちが神様に対して完全なる従順さをもって従うことを求めておられます。

新約聖書のローマ人への手紙にはこのように書いてあります。

「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。」

ローマ人への手紙10:9

新約聖書はギリシャ語で書かれていますが、ここの「主」にあたる言葉「クーリオス」はまさにヘブル語の「アドナイ」に対応しており、「主、主人、所有者」という意味です。クリスチャンはよく「主」という言葉を用いてイエス様のことを指しますが、私たちが「イエスは主」であると告白するということは、イエス様が私たちの所有者であることを認め、受け入れるということなのです。「主」はイエス様の単なる代名詞ではなく、私たちとイエス様の関係を告白する言葉なのです。

「なぜ、わたしを『主よ、主よ。』と呼びながら、わたしの言うことを行わないのですか?」

ルカ6章46節

「わたしに向かって『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者がはいるのです。」

マタイ7章21節

神様は私たちのアドナイであられます。しもべの主人、所有者として、私たちを完全に守り、導き面倒を見てくださるのです。私たちがアドナイなる主につき従っている限り、私たちは安全であり何も恐れることはありません。そして天においては神様の相続人として、その栄光の豊かさを共に受け継ぐものとされるのです。神様ご自身がアブラムにこのように言われた通りです。

「アブラムよ。恐れるな。
 わたしはあなたの盾である。
 あなたの受ける報いは非常に大きい。」 創世記15:1

しかしそれと同時に、アドナイなる主は私たちから完全な従順、完全な明け渡しも求めておられます。アドナイなる神よ、今日、私が、またこれを読んでくださっている皆さんお一人お一人が、イエス様が私たちの「主」であるとはどういう意味を持つのか、もう一度よく考え理解したうえで、心から「イエス様は私の主です」と告白することが出来ますように!

もしも、今これを読んで下さっている皆さんの中に神様を信じてみたいと
思っておられる方がいらっしゃいましたら、この子羊のマークをクリックしてみて下さい。

参考文献

4gzus@nakamurafamily.net