「アブラムが99歳になったとき主はアブラムに現われ、こう仰せられた。
『わたしは全能の神(El Shaddai)である。
あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。
わたしは、わたしの契約を、
わたしとあなたとの間に立てる。
わたしは、あなたをおびただしくふやそう。』」
創世記17章1、2節
「エル・シャダイ」とはヘブル語で「全能の神」という意味ですが、この名前は聞いたことがあるという方も多いのではないでしょうか? 英語では「God
Almighty」または、「The All-Sufficient One」と訳されています。All-Sufficientとは「これさえあれば十分、他には何もいらない」というような意味です。つまり「エル・シャダイ」という神様の名前は、神様が私たちにとって、この方さえいらっしゃれば他には何もいらないという存在であることを示しているのです。
「El」は先にも述べました通り、「力強い」という意味がありますが、「Shaddai」という言葉の語源はShad、「女性の胸」(日本語でいうならさしずめ「おっぱい」というところでしょうか)という単語だそうです。ちょっと意外ではありませんか?「力強いおっぱいなる神」が「全能の神」とはどういうことでしょうか?
赤ちゃんとは本当によく泣きます。そして当然のことながら自分では何ひとつできません。お腹がすけば泣き、暑ければ泣き、寒ければ泣き、うるさいとなき、眠たくても泣き、抱っこされたいと泣き、ゲップがうまく出せなくても泣きます。そのたびに母親がかけよって赤ちゃんのお世話をしてあげるのです。
しかし時には何をどうやっても泣きやんでくれない時があります。そんな時、絶対的威力を誇るのが「おっぱい」なのです。どんなにぐずって泣いていても、たいていの場合ママのおっぱいが差し出されれば、
赤ちゃんはすぐに吸いついて泣きやむものです。ものすごい勢いで吸いつくのです。吸って、吸って、吸って、吸い疲れて眠りに落ちるまで吸っています。眠りながらもなおも吸うのです。うっかり引っぱって赤ちゃんの口を離そうものなら、またパチリと目を開けて泣き出します。私には4人の子供がおりますが、4人とも母乳で育てたのでよくわかります。
あなたは母乳の不思議をご存じですか? 母親のミルクは、赤ちゃんが飲めば飲むほどどんどん出てくるものなのです。赤ちゃんが毎日飲み続けている限り、決して空っぽになるということはないのです。逆にあまり飲まないでいると、だんだんミルクの出が悪くなっていきます。ホルモンの働きで、そのようになっているのだそうです。
赤ちゃんにとって、ママのおっぱいは栄養の源であるだけでなく、安心を与えてくれるもの、喜びを与えてくれるもの、なぐさめを与えてくれるもの、満足感を与えてくれるもの・・・ しかも決して足りなくなることはないのです。まさに赤ちゃんの世界の全てであるといえましょう。All-Sufficient、これさえあれば何もいらないのです。
神様もまた私たちにとってそのようなお方であると、神様ご自身が現わしてくださったお名前が「エル・シャダイ」です。
神様は私たちを育て養って下さいます。私たちに豊かに平安を与え、喜びを与え、慰めを与えて下さいます。たとえどんなに私たちの世界が音をたてて崩れ落ちていきそうに思えても、神様のみもとに飛び込み無我夢中で神様にしがみつくのなら、そこには私たちにとって必要なもの全てがあり、決して足りなくなることがないのです。神様こそ信じる全ての者にとって祝福の源、豊かさの源、実りの源です。神様が私たちに与えてくださった約束がどんなに不可能なものに思えても、エル・シャダイにはその約束を実現するために必要な全てのものが、御自身のなかに尽きることなくすでに存在しているのです。ママのおっぱいが赤ちゃんのお腹を満たすように、エル・シャダイは私たちの魂を、霊を、また人生を、豊かに豊かに満たしてくださるお方なのです。
あなたはそのような神様が必要ではありませんか?
アブラムは必要としていました。99歳のヨボヨボのお爺さんになってしまったアブラムにとって、神様が約束してくださった星の数ほどの子孫など、一体何がどうなれば与えられるのか皆目検討もつかなかったに違いありません。アブラムはすでに神様をこの世の創造主、また主権を持ついと高き神として知っていましたが、この時のアブラムは神様を新たなお名前で知る必要があったのです。それがエル・シャダイ、全能の神、豊かな祝福の源である神でした。
私もまた神様をエル・シャダイとして知る必要があります。聖書には「あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださる」(ピリピ1:6)とありますが、自分自身の不出来で至らない姿を思いしらされるにつけ、神様は本当に私のうちに始められた良い働きを手遅れになることなくちゃんと完成してくださることができるのだろうか、と思わずにはいられなくなるからです。
しかし、ここで大切なことに気付かされます。神様がアブラムに御自身をエル・シャダイとしてお現わしになったとき、神様はこのように言われました。
「あなたがたは、あなたがたの包皮の肉を切り捨てなさい。それが、わたしとあなたがた
の間の契約のしるしである。」
創世記17:11
入れ物を満たすためには、まずそれを空っぽにする必要があります。エル・シャダイは豊かな祝福の源である神様ですが、私たちを満たしていただくためには私たちもまたその心をうめているものを捨てて、空っぽになって神様の御前に出る必要があるのです。エル・シャダイがアブラハムに子孫を与える契約のしるしとして包皮の肉を切り捨てることを求められたように、私たちにもまた心の包皮の肉を切り捨てることを望んでではおられるのないかと思います。
心の包皮の肉とは何でしょう? 自我やプライドではないでしょうか?
私たちが自我やプライドという心の包皮の肉を切り捨てて神様の御前に出ていく時、エル・シャダイは私たちを「神ご自身の満ち満ちたさまにまで(エペソ3:19)」満たして下さるのではないでしょうか?
私たちは満たされるために他のどこへも行く必要はありません。仕事も、家庭も、財産も、名誉も、結局は私たちを満たすことはできません。ただエル・シャダイだけが私たちを豊かに満たし、祝福し、満足させてくださることが出来るお方なのです。
エル・シャダイなる神よ、今私は心の包皮の肉を切り捨てあなたの御前に出ます。どうか私を、あなたの豊かさで満たして下さい。

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