「祝福を受けよ。アブラム。
天と地を造られた方、いと高き神(El Elyon)より。
あなたの手に、あなたの敵を渡された
いと高き神(El Elyon)に誉れあれ。」
(創世記14章19、20節)
先の項目でも述べましたが、ヘブライ語で El は「力強い」という意味を現わし、近東では「神」を現わす単語としてもっとも一般的に使われる言葉だそうです。Elyon
は「(身分などが)高いこと」「至高」「最上」「主権」「神性の圧倒的な威厳」というような意味を現わし、聖書の中で Elyon
が出てくる時はその3分の2が神を現わす固有名詞として使われているそうです。このように、「いと高き神(El Elyon)」という神様の名前は、聖書の神が主権を持った、他の何者にも支配されることのないお方であるということを示しているのです。
「主権」という概念は、神様がどのようなお方であるのかを理解する上で大切な概念です。国語辞典(角川)によると「主権」とは法律用語で「他の意思に支配されない国家統治上の最高独立の権力」という意味です。すなわち、神様が主権をもっておられるということは、神様は、ご自身が造られたこの天と地と全てのもののうちにあって、人間を含む何者にも左右されたり支配されることのない絶対的権力をもつ唯一の存在である、ということになります。
神様がそのようなお方であるということは、あなたにとって喜ばしいことでしょうか、それとも喜ばしくないことでしょうか? 私にとっては前者です! 私にとって神様は「堅固なやぐら」であり、苦しみや悩みのとき逃げこんでいく隠れ家であり、私の人生を守り導いてくださっているお方です。私は神様に全ての信頼を置くことを決心しました。
神様のなさることがたとえ私の目には納得のいかないようなことであっても、神様が全てのことを合い働かせて益と変えて下さることを信じているのです。ですから神様が誰か他のものに左右されたり支配されることがあっては困ります。神様より高い権威をもつものがこの世に存在していたら困るのです。もし神様が主権をもっておられず、全てのことに関して究極のコントロールをもっていないというのなら、私の人生は全く得体の知れない「運命」とでもいうべきもの、あるいは人間(政治家? 軍人? 上司? 夫? 子供? 自分自身?)、あるいは悪魔の手の中にあるということになってしまいます。それではあまりにも心もとないではないですか!
しかし、感謝なことに、聖書には神様はいと高きお方、主権を持ったお方であるとかかれているのです。「おや!そんなひどいことが起きていたのか。すまん、すまん。そんなはずではなかったんだ。いやぁ、失敗したなぁ。」などと神様がおっしゃることはないのです。 悪魔でさえも神様の許しなしには私たちに手を触れることができないのです。 以下の聖書の箇所をご覧下さい。
「その期間が終わったとき、私、ネブカデネザルは目を上げて天を見た。
すると私に理性が戻ってきた。 それで私はいと高き方をほめたたえ、
永遠に生きる方を賛美し、ほめたたえた。
その主権は永遠の主権。
その国は代々限りなく続く。
地に住むものはみな、無きものとみなされる。
彼は、天の軍勢も、地に住むものも、
みこころのままにあしらう。
御手を差し押さえて
『あなたは何をされるのか。』と言う者もいない。」
ダニエル書4章34、5節
「万軍の主は誓って仰せられた。
『必ず、わたしの考えたとおりに事は成り、
わたしの計ったとおりに成就する。
万軍の主が立てられたことを、
だれが破りえよう。
御手が伸ばされた。
だれがそれを引き戻しえよう。』」
イザヤ書14章24、7節
「遠い大昔のことを思い出せ。
わたしが神である。ほかにはいない。
わたしのような神はほかにはいない。
わたしは、終わりの事を初めから告げ、
まだなされていない事を昔から告げ、
『わたしのはかりごとは成就し、
わたしの望むことを全て成し遂げる。』という。」
イザヤ書46章9、10節
「ある日、神の子らが主の前に来て立ったとき、サタンも来てその中にいた。主はサタンに仰せられた。『おまえはどこから来たのか。』サタンは主に答えて言った。『地を行き巡り、そこを歩き回って来ました。』主はサタンに仰せられた。『おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいないのだが。』サタンは主に答えて言った。『ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。あなたは彼と、その家とそのすべての持ち物との回りに垣を巡らしたではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地に増え広がっています。しかし、あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打って下さい。彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません。』主はサタンに仰せられた。『では、彼のすべての持ち物をおまえの手に任せよう。ただ彼の身に手を伸ばしてはならない。』 そこで、サタンは主の前から出ていった。」
ヨブ記1章6ー12節
この世の中には私たちの理解を超えた残酷なこと、苦しいことが多くあります。「神様がいらっしゃるというなら、なぜこんなひどいことが起きるのですか?」誰でも一度や二度はそのように思ったことがあるのではないでしょうか。 確かに私たちには理解しえないこと、納得できないことはたくさんあります。でも、どうかこのことを覚えていてください。神様は愛です。そして主権を持ったお方です。神様がすべてのことに関して、究極的にはすべてのコントロールをもっておられ、私たちはそのような偉大な、いと高き神に愛され、彼の御手の中に生かされているのです。この地上において、一時的には苦しみにあうこともあるでしょう。しかし神様は、たとえどんなに人の目には災難と思えるようなことであっても、神を愛する者のためには最終的には益と変えることができるお方なのです。私たちが悪によって翻弄されっぱなしになることはないのです。
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを益としてくださることを、私たちは知っています。 … では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」
ローマ人への手紙8章28、31、32節
神よ、いと高きお方よ。私が悩みや苦しみの中にあるとき、「いと高き神」というあなたの御名のもとに私は駆けこみます。あなたのその御名の陰に隠れます。あなたは全てのことをその御手のもとに治めていらっしゃるお方。あなたにわたしの悩み、苦しみをゆだねます。あなたがお与えになる平安が私を休ませてくださいますように。あなたの御名が全ての人々の間で誉めたたえられますように。

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