ホーム>グレースライブラリー>聖霊のために聖別される
完全な明け渡し(Absolute Surrender)
by
アンドリュー・マーレイ(Andrew Murray)
初版:1895年 シカゴ ムーディプレス
「聖霊のために聖別される」 (Separated Unto the Holy Ghost )
さて、アンテオケには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、国主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどという預言社や教師がいた。彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、『バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい。』と言われた。そこで彼らは、断食と祈りをして、ふたりの上に手を置いてから、送り出した。ふたりは聖霊に遣わされて、セルキヤに下り、・・・
使徒の働き13章1〜4a節
神が私たちのために用意して下さっているものは何か、また神が私たちのために何をしてくださろうとしておられるのか、それを私たちが知るために役に立ついくつかの貴重な考えが、この御言葉の箇所を通して見い出すことができます。この引用箇所から学ぶことの出来る大切なレッスンはこれです:聖霊こそがこの地上における神の働きを指揮されるお方である。 私たちが神のために義なる働きをしようとするなら、また神が私たちの働きを祝福して下さるというのであれば、私たちは次のようでなければなりません。すなわち、聖霊との関係において正しい位置に自分を置き、本来聖霊が受けるべきはずの栄誉を日々聖霊にお返しすること、そして私たちの全ての働きや、(それ以上に)個人的な隠された内側の生活において聖霊が第一の場所をいつでも占めて下さるようにすること、です。
まず第一に、神は御国に関してご自身のご計画を持っておられるということがわかります。
アンテオケの教会はすでにその地において確立されていました。神はアジア及びヨーロッパに関してご計画と意図をお持ちでしたが、これらの計画をお立てになったのは神であり、それらは彼のものでした。そして神はご自身のしもべたちにそれらの計画を明らかになさったのです。
私たちの偉大なる司令官は、全てのキャンペーンをご自身で計画されます。そしてその下にいる将軍たちや将校たちは、それらの偉大なるご計画の全貌について、必ずしも知らされているというわけではありません。彼らが受ける指令はたいていの場合封印されており、司令官が次にどんな命令を下さるのか、待たなくてはならないのです。天におられる神は、為されるべきどんな働きに関しても、またそれがどのように為されるべきかについても、御心と願いを持っておられます。幸いなるかな、神の極秘機密を知らされ、神のもとで直接働く者は!
数年前のことです。私が住んでいる南アフリカのウェリントンに、宣教学校が開設され素晴しい大きな建物が建てられました。開校礼拝において校長は、私が決して忘れることの出来ないことを言いました。
「昨年私たちがこの場所に集まり、礎石を置いたとき、その時私たちに見えていたものは何だったでしょうか? そこにあったのはごみ屑と石と煉瓦と、そして取り壊された古い建物のガレキの山だけでしたね。 そこに私たちは礎石を置いたのですが、どんな建物が実際に建てられるのかを知っていた人はほとんどいませんでした。たった一人の人、すなわち建築家を除いては、その建物について細かいところまで完全に知っている人は誰もいなかったのです。彼の心のなかでは全てははっきりとしていました。そして建築業者や石膏技師や大工たちは、この建築家から指示を受け取りつつ作業をしたのです。最もへりくだった働き手は指示に忠実に従う者です。そして骨組みが出来、最後にはこのように素晴しい建物が完成したのです。そして、」校長は続けて言いました。「今日開校するこの建物もまた、神様だけがご存じであられる働きの、礎石であるに過ぎないのです。」
神はご自身の働き手とご計画を明確に位置付けておられます。私たちのポジションは、その時々において必要な指示を神が与えて下さるのを待つことです。
神の指示を実行に移すにおいて、私たちはただ、従順かつ忠実でなくてはいけません。神はこの地上における神の教会のためにご計画をお持ちです。しかし、あぁ! 私たちは何としばしば自分で自分の計画を立ててしまう者であることでしょう! そして、何がなされるべきかはわかっている、などと思ってしまうことでしょう! 神が私たちの前を行くのでなければ先に進むことを絶対に拒みます、とは言わないで、私たちのささやかな努力を祝福してくださいと神に真っ先にお願いしてしまうのが私たちではないでしょうか? 神は働きと御国の拡張のためにすでにご計画をお持ちなのです。 そして、聖霊が神から委ねられ、その働きを担っておられるのです。「わたしが召した任務」です。 ですから、聖霊に導かれずして「神の契約の箱」に触れることを私たちがみな恐れるよう、神が助けてくださいますように。(訳注 第二サムエル6章6、7節参照)
二番めの考えは、神は、みこころが何であるかをご自身のしもべたちに喜んで現わしてくださるということです。
そうです、主の御名はほむべきかな! 神からのコミュニケーションは今でも天からこの地に向けられています。この御言葉の箇所で聖霊が語っておられるように、今でも聖霊はご自身の教会、ご自身の民に語って下さるのです。このような後の日々において、聖霊は何度もそのようになさってこられました。個人のもとにやって来られ、神聖なる教えを通して、一見するととても理解できない、認められないような働きの地へ、また、とうてい勧めることが出来ないような方法へと、人々を導き出してくださったのです。聖霊は今、私たちの時代でも、ご自分の民に語って下さいます。神に感謝します! 海外宣教において、国内宣教において、またありとあらゆる形の働きにおいて、聖霊の導きは知られています・・・ただ・・・(もう告白する準備は出来ていますね?)ほんの少し、ほんのわずかだけ、なのですが。 私たちは神を待ち望むということをまだ十分には学んでいません。ですから、私たちは神の御前におごそかに宣言するべきです。「おぉ、神よ。私たちはあなた様の御心を私たちに示してくださるまで、あなた様のことをもっと待ち望みたいのです。」
力だけを神に求めてはいけません。多くのクリスチャンは、働きについて自分自身の計画を持ってしまっているにかかわらず、神様から力をいただこうと考えています。そのような人は自分自身の意思で働きますが、しかし、神の恵みを頂くことを要求するのです。それこそが私たちが往々にして神からの恵みをほとんど受けることもできず、またあまり成功しない理由です。しかし、私たちはみな神の御前に進み出て、このように言おうではありませんか。
「神の御心のままになされたのなら、神の力がそこから取り去られることはない。神の御心のままになされたことには、神の偉大なる祝福がある。」
ですから、神の御心が私たちに現わされることが私たちの第一の願いであるようにしましょう。
もしもあなたが「そのようなコミュニケーションを天からいただき、それを理解するということは、簡単なことではありませんか?」と聞くのなら、私はこうお答えしましょう。「天の神と正しい交わりの関係にあり、また祈りにおいて神を待ち望むことの素晴しさをわきまえているような人にとっては簡単なことです。」
私たちは何度このように尋ねることでしょう?「人はどのようにして神の御心を知ることが出来るでしょうか?」 誰でも、困難や当惑のなかにあるときは、神が彼らの祈りにすぐに答えて下さるようにと熱心祈るものです。しかし神は、主の前にへりくだった、柔らかく、また空っぽな心にだけご自身の御心を示すことが出来るのです。日々の生活のなかで小さな事柄におけるまで神に忠実に従い、ご栄光を帰すことを学んだ者たちだけに、彼らが当惑と特別な困難のなかにあるとき、神はその御心を現わして下さることが出来るのです。
これは三番めの考えにつながってきますが、それは御霊が神の御心を現わしてくださる時の状況に目をとめなさい、ということです。
この御言葉の箇所には何と書いてありますか? 大勢の者たちが主を礼拝し、断食していたとありますね。すると聖霊が来て彼らに語ったのでしたね。この箇所を、ちょうど私たちの時代の宣教委員会について理解するように受け取る人達がいます。私たちは目の前に開かれた宣教の候補地があるのを見ます。他の地ではすでに宣教を始めており、次にその新しい地に進もうと考えます。実質上、すでにそれは決定しているのですが、私たちはそれから祈り始めるのです。しかし、使徒たちの時代は何と違っていたことでしょうか! 彼らのうちヨーロッパに目を向けていた人たちがいたとは私には思えません。なぜならパウロでさえ後にアジアへ戻ろうと試みているからです。しかし、神の御心によってある晩、幻がパウロを召したのでした。これらの人々を見てごらんなさい。神は素晴しい不思議な業をなして下さいました。神は教会をアンテオケにまで広げられ、そして豊かで大きな祝福をお与えになりました。今ここでは多くの人々が神を礼拝し、祈りと断食をもって神に仕えていたのです。彼らはなんと深い確信を持っていたことでしょう!「全ては天から直接やってくるに違いない。我々は蘇られた主との交わりの中にあるのだ。我々は神との密接な連合のなかにいなくてはならない。そうすれば神は、何らかの方法を通して、ご自身が何を欲しておられるのか我々に示してくださる。」そして彼らは空っぽで、無知で、無力で、嬉しさと喜びに満ちて、しかし深くへりくだって、主の前に立つのです。
彼らはこのように言うのでしょう。「おお主よ、私たちはあなた様のしもべです。断食と祈りをもってあなた様を待ち望みます。あなた様が私たちのために持っておられるみこころは何でしょうか?」
これはペテロにとっても同様ではなかったでしょうか? 彼は断食と祈りに身を捧げつつ家のてっぺんに立ちました。カイザリヤに行くという命令やビジョンについてはほとんど考えていませんでした。ペテロは神がなさろうとしておられた働きに関しては、まったく無知だったのです。
主イエスに完全に明け渡された心、自分自身を世から、また普通の宗教的な儀式からも分かち、主を見上げるための熱心な祈りとひきかえに自分を放棄してしまった心、そのような心に対して神の神聖な御心は現わされるのです。
断食という言葉が(3節において)二番目に出てきたことに気付かれたでしょうか。「彼らが主を礼拝し、断食をしていると・・・」(訳注 英語では"They
fasted and prayed"となっており、断食(fast)という言葉は二番目になる)あなたは祈るとき、イエスの教えに従って密室に入り、ドアを閉めますね。仕事や仲間や娯楽や、その他あなたの祈りの邪魔となるもの一切を遮断し、神とただ二人きりになって祈りたいと思いますね。しかし、物質的な世界がなおもあなたを追ってそこに入ってきます。それは、食事をしなくてはならないということです。使徒の働きの箇所のこれらの人々は、物質的世界、目に見える世界、全ての影響から自分たちを遮断することを願いました。それで断食をしていたのです。彼らが食べたものは、単に自然の必要を満たす程度のものだけでした。そして魂の激しい願いをもって、自分たちはこの地上の全てのものを手放しますという意思表示として、神の御前に断食をしたのです。おぉ、神が私たちにもそのような激しい願いを与えて下さり、この世の全てのものから私たちを聖別してくださいますように。なぜなら私たちは聖霊が私たちに神聖なる神の御心を現わして下さるよう、待ち望みたいのですから。
四番目の考えは、では聖霊が現わしてくださる神の御心とは何か、ということです。それは「聖霊のために聖別される」という、このひとつのフレーズのなかに集結されています。これこそが天国からのメッセージの基本となるものなのです。
「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい。働きは私のものであり、私が面倒を見ます。私が彼らを選び、召し出しました。この地上にキリストの教会を代表するあなたがたは、彼らを私のために聖別しなさい。」
この天からのメッセージを、二つの側面から見てみましょう。 バルナバとサウロは聖霊のために取り分けられるようにと言われました。そして取って分ける(聖別する)のは教会の仕事だったのです。聖霊は彼らがそれを正しい霊のもとに出来るだろうと信頼しました。彼らは天との交わりのなかにしっかりと留まっていたので、聖霊は彼らに「これら二人を私のために聖別しなさい」と言うことが出来たのです。彼らこそ聖霊が整えた者たちであり、だからこそ聖霊は彼らに関して「私のために聖別しなさい」と言うことが出来たのです。
ここで私たちは、クリスチャンの働き人に必要とされている、まさにその命、基盤となるものが何かを見ます。問題は、「神の力が働き人の上により強く臨むためには何が必要なのか、働き人たちが労しているこれらの貧しく惨めな人々や滅び行く罪人たちの間に、神の祝福が豊かに注がれるためには何が必要なのか?」ということです。天からの答えはこれです。
「働き人を聖霊のために聖別しなさい。」
これは何を示唆しているのでしょうか? この地上には二種類の霊があることはご存じですね。キリストは聖霊について語られたとき、こうおっしゃいました、「この世は彼(聖霊)を受けることは出来ない。」 パウロもいいました、「私たちが受けたのはこの世の霊ではなく、神の御霊です。」この世の霊が離れて行き、神の御霊が私たちの内なる命、また存在の全てを所有して下さるために私たちの中に入って来て下さる、これこそがすべての働き人が最も欲するものではないでしょうか。
福音の働き人が、自分たちの働きの上に力の御霊が臨んで下さるよう聖霊を求めて神に泣き叫ぶように祈ることは珍しいことではありませんね。またそのように祈った後、力をいただいたと感じ、祝福を得、それゆえに神に感謝するということもよくあることだと思います。しかし、神はそれだけでなくさらに崇高なものを私たちが求めるようにと願っておられます。それは、自我に打ち勝ち、罪を追い出し、神聖で素晴しいイエスの御姿が私たちの中で具現されるようになるために、心や生活のなかにおける力の御霊としての聖霊を私たちが求めるようになることです。
賜物としての御霊の力と、聖い生活の恵みのための御霊の力には違いがあります。御霊の力を持っていても、恵みと聖さの御霊としての御霊の力を十分に頂いていないのなら、そのような人の働きにはいずれボロが出てくるのです。誰かの改心のきっかけとしては用いられるかもしれません。しかし改心した人たちが霊的な生活において、より高いスタンダードを持てるようになるための助けとして用いられることは決してないでしょう。そしてその人がいなくなるとき、その人の働きの大部分もまた一緒になくなってしまうかもしれません。しかし、聖霊のために聖別されている人は、このように言うために自分自身を明け渡している人です。
「父よ、どうか聖霊が私の中で完全に主導権を握ってくださいますように! 私の家庭で、私の気性で、私の舌にのぼる全ての言葉の中で、私の心の全ての思いの中で、仲間たちに対する一つ一つの感情のなかで、聖霊が完全に私を所有してくださいますように。」
これはあなたの心がずっと切望してきたものですか? 聖霊のために聖別され明け渡された人となるための、あなたとあなたの神との間の誓約はまさにこのようなものですか? あなたが天からの御声を聞くようにお祈りいたします。「私のために聖別されよ」、聖霊はそのように語っておられます。そうです。聖霊のために聖別されるのです。神の言葉が私たちを探るために私たちの存在の深みにまで入ってきて下さるよう、神が取りはからって下さいますように。もしも私たちがまだこの世から完全に離れ出ていないことがわかったなら、もしも神がそこに私たちの自己中心、強情、また自己陶酔などがあるのをお示しになったなら、神の前に自らをへりくだらせようではありませんか。
男性も女性も、兄弟も姉妹も、あなたは聖霊のために聖別された神の働き人なのです。それは真実ですか? それはあなたが切望してきた願いですか? あなたはそのために明け渡されていますか? それは私たちの全能なる蘇りの主イエスの御力を信じる信仰を通してあなたが期待してきたことですか? もしそうでないのなら、私たちが召されている信仰とはそのようなものであることを知りなさい。聖霊のために聖別されることにこそ祝福の鍵があるのです。神が私たちの心のなかに御言葉を書き記してくださいますように!
教会はそのような聖別の働きをすることが可能であるゆえに、聖霊はアンテオケの教会に語ったのだと、私は言いました。聖霊は彼らを信頼していたのです。神は、私たちの教会、宣教団体、働き手の組織、全ての指導者、会議、委員会などが全て、聖霊のために働き人たちを聖別するという働きをするにふさわしい者として取りはからって下さっているのです。私たちもまたそれを神に願うことが出来るのです。
そこで五番めの考えが出てきます。それは、この働きにおける聖霊との聖なる協力関係は、私たちの側の意識と行動にかかってくる、ということです。
これらの人々は何をしましたか? 彼らはパウロとバルナバを聖別しました。御言葉に書かれていることによると、この二人は聖霊によって遣わされ、セルキヤに下ったとあります。 あぁ、何という交わりでしょう! 天の聖霊が働きの半分をなし、地上の人間が残りの半分をなすのです。人がこの地上での務めに任命された後、神の御言葉には、聖霊によって遣わされたと書いてあるのです。
そしてこの協力関係がいかに新しい祈りと断食を必要とするかわかりますか? 彼らはしばらくの間、主を礼拝し断食していました。恐らく数日間に渡ってのことでしょう。それから聖霊が語られ、そして人々はその働きをなすことになり聖霊との協力関係に入っていったのです。そして彼らはさらに祈りと断食に携わるためにすぐに集まりました。このような精神をもって彼らは彼らの主の命令に従ったのです。このことは、クリスチャンの働きの一番始めの時期にだけ当てはまるのではなく、全過程を通して、祈りによってこの力をいただく必要があるのだということを私たちに教えています。私にはキリストの教会に関して一つ思うことがあります。(それは時として私の心にとてつもない悲しみをもって襲って来ます。)私には、自分でも恥ている私自身の人生に関して一つ思うことがあります。私には、キリストの教会が受け入れておらず、全く理解もしていないと感じている一つの思いがあります。私には、「おぉ、あなたの恵みによって私たちに新しいことを教えてください」と神に向かって祈りたくなるような一つの思いがあります。それは、祈りが神の御国において本来持っているべきはずの素晴しき力についてです。私たちはそれをほとんど用いていないのです。
バニヤンの偉大なる作品の中で、クリスチャンが洞窟の扉を開けることの出来る鍵が彼の胸のなかにあったと発見したときの場面を、私たちは皆、読んだことがあるでしょう(訳注 「クリスチャン」はバニヤンの「天路歴程」の主人公の名前)。 私たちもまた、無神論や異教の洞窟の扉を開けることの出来る鍵を持っているのです。しかし、あぁ! 私たちは祈ることよりも、自分自身の働きのことに心を奪われ過ぎています。 私たちは神に語りかけるよりも、人に語りかけることの方が大切だと思っているのです。アンテオケの教会の人々から学びましょう。聖霊が私たちに命令する働きは、私たちを新しい次元の祈りと断食へ、この世の霊と快楽からの新たなる別離へ、そして神と、神との交わりに対する新たなる聖別へと私たちを召し出すのだということを。彼らは断食と祈りのために自分自身を放棄しました。私たちの月並なクリスチャンとしての歩みの中にもっと祈りがあるならば、私たちの内なる生活にももっと多くの祝福があることでしょう。もしも私たちの唯一の力はキリストとの一瞬一瞬の交わりの中にある、一瞬一瞬神に私たちの中で働いていただくことにあると、私たちが感じそれをこの世に証しするのであれば、もしもそれが私たちの思いであるならば、神の恵みによって、私たちの生活はもっと聖いものとならないでしょうか? もっと豊かに実を結ぶものとならないでしょうか?
神の言葉のなかで、ガラテヤ書の3章でパウロが言っていることほど厳粛な警告を私は知りません。パウロはこのように問いかけました。
「御霊で始まったあなたがたが、いま肉によって完成されるというのですか。」(訳注 ガラテヤ3:3)
これがどういう意味だかわかりますか? キリスト者の歩みには、それが多くの祈りと聖霊様の働きの中で始まったものでありながら、だんだんと逸れて、肉と並ぶようになっしまうかもしれない恐ろしい危険があるということです。そこで御言葉が言うのです。「御霊で始まったあなたがたが、いま肉によって完成されるというのですか。」私たちが最初に困惑の中、なすすべもなく神に必死で祈ったとき、神は祈りに答え祝福し、おかげで私たちの組織は完成させられ、働き人も増えていきました。しかし、組織や働きやその忙しさはだんだんと私たちを占領し始め、私たちの群れが以前まだ小さかった頃に私たちを始めて下さったはずの御霊の力が、完全に失われてしまったのです。 あぁ、私はあなたのために祈ります、このことをよく覚えておきなさい! 弟子たちが聖霊による指令を実行することが出来たのは、新しい祈りと断食、そしてさらなる祈りと断食によったのだということを。「私のたましいは、ただ神だけを待ち望みます。」これこそがもっとも崇高でもっとも大切な働きなのです。聖霊は信じて揺らぎのない祈りに対する答えとしてやってきます。
栄光のイエスが御座にあげられたとき、10日間の間、弟子たちは御座の足元で、イエスを待ち望みつつイエスに祈り叫んでいましたね。王は御座につき、しもべたちはその足元にいるということ、これが御国の法則です。神がいつも私たちをその場所に見つけてくださいますように!
そして最後の考えはこれです。 私たちの働きを聖霊に導き指示していただくとき、そして私たちが聖霊への従順のもとでその働きを実行するとき、そこには何と素晴しい祝福があることでしょうか!
バルナバとサウロが遣わされた宣教の話しのことは知っていますね。どれだけの力が彼らと共にあったかも知っていますね。聖霊が彼らを遣わし、大いなる祝福を持って彼らは場所から場所へと移動していったのでした。彼らが進むにあたり、聖霊がリーダーでした。パウロが再びアジアに入ろうとしたとき、いかにして聖霊が彼を止め、ヨーロッパへと導いて行ったか覚えているでしょう。あぁ、この小さな人々の群れと主への働きのうえに臨まれた、なんという祝福よ!
私は祈ります、神は私たちのために祝福を用意しておられると信じることを、私たちが学びますように。神から委ねられた働きをその御手に持っておられる聖霊は、「聖なる三位一体の幹部」と呼ばれてきました。聖霊は力を持っておられるだけでなく、愛の霊でもあられます。彼はこの暗い世界やそこでなされる全ての働きの上におおいかぶさっておられ、喜んで祝福を与えようと待ち構えておられるのです。それなのに、なぜそれほどの祝福がないのでしょうか? ただ一つの答えだけが考えられます。私たちは、本来そうされるべきやり方で聖霊のことを認めていなかったのです。そんなことはないと言える人はいますか? すべての思慮深き心は神に向かって叫ぶ用意は出来ていますか? 「神よ、私が本来そうされるべきやり方で聖霊様のことを認めていなかったことをどうかお赦し下さい! 私が聖霊様を悲しませ、本当なら聖霊様によってなしていただくはずの働きをするのに、自我や肉や自分の意思を優先させていたことをお赦しください! あなたが聖霊様がいるようにと願っていたその場所に、自我や肉や自分の意思が陣取ることをさせてしまっていた私のことを、どうか赦してくださいますように。」
あぁ、罪とは私たちがわかっている以上に大きいものです!キリストの教会にこれだけの失敗や弱さがあるのも無理はないことです!
翻訳 中村佐知
Copyright(C) 1999 by Sachi Nakamura
--「聖霊のために聖別される」のトップへ --
誤字脱字、誤訳などがありましたら、是非メールでご連絡下さい!
なるべく急いで訂正いたします。
「聖霊のために聖別される」PDF形式のファイルのダウンロード
|